忘れられるのが怖い、いやそんなことないかも(6/15まで無料公開)
ふとした瞬間に怖くなる。
最近の若い人たちが全然分からない。売れてるボカロPさんも知らない人ばかりになった。
最近の流行りが全然分からない。TikTokもインストールして全く使わず、昨日ちいかわ公式だけフォローした。
私がインターネットで歌を出すようになって10年と数年、大学辞めてから10年近く、何かを始めたり終わらせたばかりの感覚は失われている。
まだインターネットを始めたばかりの頃は、周りに馴染もうと積極的にコミュニケーションをとっていた。
今は、インターネットでも会社でも「古参」になりつつあり、新しくコミュニケーションを取らなくても問題ない立ち位置になってしまった。
昔はいろんなところに顔を出していたが、今となってはあまり人と交流をしないために、結果として人々との関わりが薄くなってきているのを感じる。
薄くて、広くなった。これで特段問題は発生していないけど。
そうして昔の人になるんだろう、と思う。
直接関わることがなくても、何か発信することで一方的に接点を持ち続けることはできる。
何かを発信したり、何かを作らなければ自分の存在はみんなの中から消えてしまう。
半ば義務感や焦りのような感覚で何かをしている節がある。
でも、書いてて思ったけど、実はそんなことないかもしれない。
あんまり気にしてないかもしれない。別に忘れられても良いか、って思ってる。
気にしているときと、気にしていないときがある。
この記事を書き出した当初は、気にしてた。
でも、ここまで書いたら、あんまり気にしてなかったかも。
昔知り合った人や、昔仲良かった人、みんなそれぞれ活躍したり、(インターネットから)いなくなったり、いろんな人生をしている。
昔あんなに毎日連絡してた人も、一緒にCD作った人も、もう10年近く会ってなかったりする。
久々に飲みたいような、でもTwitterは別に相互フォローだし、彼ら/彼女らの日々の様子はそれなりに分かるし、別にこのままでも良いような、そんな気がしている。
いなくなった人のことは分からないけど、多分どこかで暮らしていると思う。
そうして今仲良い人たちも、きっと5年後にはあまり連絡取らなくなってる気もする。
それで良いんだと言い聞かせてる。本当はすごく寂しい気もする。
じゃあ昔に戻りたいかというと、そんなこともないんだけど。
今を必死に生きるかというと、それもそんなことないんだけど。
今の生活には満足しているし、どこかでこれが続けば良いと思ってる自分がいる。
逆に、今より楽しくない生活になっても、それは妥当というか、前に戻っただけで、今が恵まれすぎてるから納得できてしまう。
不思議なもので、寂しかったり寂しくなかったりする。
もっと怖いのは、この寂しさと寂しくなさの波が年々と薄くなってきて、ここ最近は寂しく感じたり昔を思い返す時間が短くなっていること。
もう、思い返すこともなくなるのかも。
ここまで書いて思ったけど、今更だけど旧友に声かけてみようかな。
思い返すきっかけになるかもしれないし、ならないかもしれない。