小噺「脱衣所の財布」
温泉の脱衣所での出来事。
10月の北海道・知床。その日の気温は-4℃。
地元ながらの銭湯(温泉)に入ろうとして、隙間風の強い脱衣所に入る。
人はまばらで……、というか、靴は3つ。脱衣所に1人見えるので、浴場に2人いるのだろう。
あまり大きな銭湯ではないので、それでも賑やかに感じるほどだった。
そして地元の銭湯ながら、コインロッカーがないタイプの脱衣所だった。
自分がミスったポイントは、宿に財布を置いてこなかったこと。
コインロッカーのない脱衣所で財布をそのまま転がすのは……かなり抵抗がある。
宿までは歩いて10分くらいの距離で、この寒さ。しかもあと30分ほどでこの銭湯が閉まる予定だった。
諦めてリュックの奥の方に財布を入れて、脱衣所のカゴの中に入れる。
服を脱いで、浴場のドアを開ける。軽く身体を流して湯に浸かる。露天風呂もあるが、流石に氷点下で外に出る勇気はない。
で、案の定、温泉に入りながらも心はどこかで「財布……」と思ってしまっていた。
大丈夫だと分かっていながらも気はそぞろで、あまり温泉に集中できないまま足早に身体を洗い、湯船から上がる。
脱衣所に戻ると、私より先に浴場から脱衣所に戻っていた若い女性が1人いた。
そして、半裸とも言える下着姿のままで、手には財布を持って、中の札の枚数を数えていた。
……どういうことだろう?
私と目が合って、彼女は気まずそうに会釈をする。
私もつられて全裸で会釈をした。
そうしている間にも、彼女は手に持っていた財布をリュックにしまうと、急いで着替えて、髪も乾かさないまま出て行ってしまった。
1人脱衣所に残された私は、なんとなくイヤな予感がしてしまった。
私は急いで身体を拭くと、ほぼ全裸のままリュックから財布を出す。
そして財布の中の枚数を数える。
イヤな予感とは裏腹に、特に何も問題はなかった。
財布はあるし、中の札が減ってることもない。衣服の動かされた様子すらなかった。
なんだったんだろう?と思いながら、ふと顔を上げると、正面にあった鏡で自分の姿が映し出された。
めちゃくちゃ怪しい。全裸で財布の中身を数えている女性がいる。
なんだかおかしくなってしまい、そして状況に納得しニヤけていると、後ろから、「ガラガラ」と浴場と脱衣所の間にあるドアが開く音がした。
そして、出てきたおばちゃんと目が合った。
気まずくなって……、会釈をした。全裸で、財布を持ちながら。
おばちゃんは、怪訝そうな顔をしながら……、会釈をし、自分の荷物を注意深く観察しているようだった。
落語かよ。