もう一度やらせてもらえませんか

Limonèneのファンクラブ リモネン環

2025/04/05 15:00

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楽器を嗜んでいたこともあった。謙遜ではなく本当に少し触っただけで、大半は下手なまま終わった。それでもいまのスキルに繋がっている部分もあるので、振り返ってみる。


シンセサイザー(おもちゃとして)

幸運なことに、実家に色々な楽器があった。それは親の趣味で、電子ピアノの代わりにシンセサイザーがあった。物心がつく前にDX7を叩いて遊んでいたらしい。ヤマハのサンプラーとかドラムマシンとかで遊んだ記憶はある。

 

電子ドラム

小学校高学年の頃、リズムに興味があってあらゆるものを叩いていたら、ある日家に電子ドラムが来た。この辺の記憶だけ見ると甘やかしすぎじゃない?

結局、叩き方がわからないまま触らないことになる。ただ、収録されている音色の最後の方に入っていた、明らかに様子の異なる音に興味を持った。後にそれはドラムマシン特有の、ハウスミュージックなどで聴けるようなスネアドラムの音色であると知ることになる。

詩やメロディーを書き始めたのはこの頃だが、書くだけで演奏はできなかった。

 

ギター

中学校にギター部があった。3人を下回ると同好会として扱われてしまうらしく、わたしは英雄となった。しかし先生は来ないし一人は幽霊部員で、少しカビ臭い誰も知らない倉庫のような部屋で不真面目な先輩と二人で時間を潰すのが実態だった。それでも、不謹慎な噂話とか都市伝説とか恐怖映像の話とかを聞かされながら大体一人で弾いていた。

 

コントラバス、エレキベース、打楽器

ギター部が廃部になり、吹奏楽部でコントラバスを弾くことになった。弦だし、なんとかなると思った。

コントラバスを弾くということはエレキベースも弾くということである。親戚の家で余っているベースを借りられるという話だったのだが、届いたケースを開けるととても滑らかで美しくカッコいいフレットレスベースだった。困るけど。かっこいいけど。コントラバスやっててよかった。

その後、あるとき楽譜に「チョッパー*」という指示を見つけた。とうとうこの日が来たか、という顔をしながら父はカシオペアの「Perfect Live」を見せてくれた。
*スラップ奏法の古い言い方。当時からしても古い楽譜だった。

しかしどうやってもスラップの音にならない。指板に金属パーツのないフレットレスベースでスラップ奏法をしたところで、どうやってもそれっぽくならない、ということを知るのはもう少し先の話である。

コントラバス、いま欲しいわ。

 

GarageBand

家のMacに入っていて、そういえば中学の頃も少し遊んだ記憶がある。内蔵されているピアノやギターの音がいいなあと思っていた。高校の終わりの頃、これで曲を作ってこっそりとニコニコに上げていた。

 

クラリネット

高校に小規模なオーケストラの部活があったのでそこに入った。クラリネットにずっと興味があったものの、吹奏楽部のクラリネットは心を破壊すると知っていたので、こちらにした。あんまり上手くならなかったが、理屈の面は割と覚えているのでたまに仕事に活きている気がする。いまやりたい。

 

ピアノ

ピアノを勝手に弾いてたやつ居るでしょう。そいつがわたしです。

習ったことないし、楽譜から曲をしっかり覚えられるわけではないので、和音を試したりとか聴いたことのある曲を再現するとかをしていた。でも一回だけ学校の演奏会に参加した。

 

合唱

部活と掛け持ちでやってた。どちらかと言うと、厳しい合唱部の練習がどんなものか、どんな曲をどんな風に磨いていくのか、その現場に立ち会えたことの学びが大きかった。日本の合唱曲って本当に特殊な面白さがありますよね。

 

ベース(バンドの)

一回だけバンドに参加した。本番でループ&ループのギターソロが全然弾けてなくて、仕方なくベースで代わりにやって繋いだのを覚えている。

それが最後になったのはわたしが出しゃばったせいではなくて、わが家の門限によるものである。

 

指揮、編曲

オケ部(仮称)では編曲も勝手に担当していた。指揮者は持ち回りでやる決まりだったが、自分は他の部とかでもやることが多かった。他の学校と合同でしっかりしたオーケストラをやる機会があったのだが、それでも指揮者を名乗り出て、色々叩き込まれた。何を目指していたんだろうな。

 

打ち込み、ギター、DJ

結局、思っていた音楽の世界には行けなかった。

高校生の頃インターネットとダンスミュージックに出会い、DAWという言葉を知り、パソコンで音楽を作ることがすぐに自分のすべてになった。

自分はまだ気付かれていないだけで他の人には無い何かを持っているのだ、と勘違いしたまま音楽を作り続けた。ある程度評価された曲もあったが、それだけで生きていくのには不十分だった。山を登った実感のないまま、ピークを過ぎたという事実がゆっくりと迫ってくるのだろう。そろそろいいんじゃないか。体を強張らせないことが、長い苦しみを乗り切る秘訣かもしれない。

 

おわり

 

【D End】

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